米国の政党について

共和党 (アメリカ) - Wikipedia
黒人奴隷制反対を掲げて1854年に結成される。連邦派と呼ばれるフェデラリストホイッグ党の流れを汲み、かつては北東部、中西部を支持基盤とする政党であり、1860年にはリンカーンが初の同党出身の大統領になった。当初は知識層が支持する進歩政党であったが、20世紀前半に革新主義が離脱、ニューディール連合のもと雌伏を余儀なくされた。公民権運動以降、民主党の地盤であった南部へ進出、キリスト教を取り込んで保守的な傾向を強めていき、民主党と政治的立場が入れ替わることとなった。リチャード・ニクソン以降はこの地を地盤として多くの大統領を送り込んでいる。

民主党 (アメリカ) - Wikipedia
その発足当初は対立する共和党が北部を中心とした近代産業の振興の立場を取るのに対して、民主党は南部を中心とした勢力を支持基盤に持ち、南部の農場主等の権益の擁護を中心としていた。
現在では一般的に対立する共和党保守主義新保守主義の立場を取るのに対して、民主党は一般的にリベラルの立場を取る議員が所属するとはされているが、伝統的南部出身者やカトリックなど、非常に保守的な議員もいる。経済政策に関しては国内の製造業、貧困層や弱者、中小企業を救済するため、自由貿易主義を主張する共和党とはやや一線を画す国内産業保護主義を取る。

アメリカ合衆国大統領選挙の州別結果 - Wikipedia
1912-56年は支持政党が国全体で変化する傾向がある。
以降は州ごとに支持政党が固定されがちだが、1912以前とは逆の政党を支持する州が多い。

アフリカ系アメリカ人公民権運動 - Wikipedia
アフリカ系アメリカ人公民権運動(アフリカけいアメリカじんこうみんけんうんどう、African-American Civil Rights Movement)とは、主に1950年代から1960年代にかけて、アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動である。

1960年に発足した民主党ジョン・F・ケネディ政権は、閣僚他スタッフに有色人種がいない事を批判されながらも公民権運動には比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離各法、いわゆる「ジム・クロウ法」を禁止する法案を次々に成立させた。しかしケネディは1963年11月にダラスで凶弾に倒れ(ケネディ大統領暗殺事件)、リンドン・ジョンソン副大統領がその後を継ぐこととなった。

1963年11月に大統領に就任したジョンソン大統領は南部のテキサス州を地盤に持つ「保守派」として知られたものの、大統領就任以前から人種差別に対して否定的であり、公民権運動に強い理解を示し公民権法の制定に積極的であった。実際にジョンソンは大統領に就任すると、これまでの上院議員としての長い政治生活、特に院内総務として培われて来た議会への影響力を最大限に働かせ、公民権法の成立に向けてキング牧師などの公民権運動の指導者らと協議を重ねる傍ら、保守(「人種差別主義」という意味での)議員の反対に対して粘り強く議会懐柔策を進めた[9]。

ジョンソン大統領による精力的な働きかけの結果、世論の高まりもあり議会も全面的に公民権法の制定に向け動き、1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、ここに長年アメリカで続いてきた法の上での人種差別は終わりを告げることになった。


ケネディ政権以降、民主党はリベラル色が強くなった印象。