通貨制度

金本位制 - Wikipedia

金本位制(きんほんいせい、英語: gold standard)とは、一国の貨幣価値(交換価値)を金に裏付けられた形で金額を表すものであり、商品の価格も金の価値を標準として表示される。この場合、その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、これを法定金平価という[1] 。大不況 (1873年-1896年) 期に採用が進み、20世紀には国際決済銀行とブレトンウッズ体制の礎となった。

金本位制が法的に初めて実施されたのは、1816年、イギリスの貨幣法(55 GeorgeIII.c.68)でソブリン金貨(発行は1817年)と呼ばれる金貨に自由鋳造、自由融解を認め、唯一の無制限法貨としてこれを1ポンドとして流通させることになってからである。
その後、ヨーロッパ各国が次々と追随し、19世紀末には、金本位制は国際的に確立した。

1914年にはじまった第一次世界大戦により各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行する。これは、戦争によって増大した対外支払のために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止、通貨の金兌換を停止せざるをえなくなったからである。

その後1919年にアメリカ合衆国金本位制に復帰したのを皮切りに、再び各国が金本位制に復帰したが、1929年の世界大恐慌により再び機能しなくなり、1937年6月のフランスを最後にすべての国が金本位制を離脱した。


ブレトン・ウッズ協定 - Wikipedia

ブレトン・ウッズ協定ブレトン・ウッズきょうてい、英語: Bretton Woods Agreements)とは、第二次世界大戦後半の1944年7月、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定である。「アメリカ合衆国ドルを基軸とした固定為替相場制」であり、1オンス35USドルと金兌換によってアメリカのドルと各国の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保つことによって自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる仕組みであった。この体制は1971年のニクソンショックまで続き、戦後の西側諸国の経済の復興を支えた。この協定に基づいて確立した体制のことをブレトン・ウッズ体制という。

しかしその後、アメリカ合衆国と世界の諸国の経済や貿易や財政の規模が著しく増大し、金の産出量や保有量が、経済や貿易や財政の規模の増大に対応することが困難になった。

1971年8月にニクソン・ショックによりアメリカはドルと金の交換を停止し、ブレトンウッズ体制は終了した。

その後、1971年12月にスミソニアン協定でブレトンウッズ体制の骨格を維持しようとするも、1973年には本格的に変動相場制に移行し、ブレトン・ウッズ体制は完全に終結した。