「真の教育、研究水準の向上につながる大学改革とは」

http://www.rieti.go.jp/jp/special/dialogue/07.html
気になった部分を抜粋。


語り手
藤城 眞 (財務省 主税局 税制第三課長/前財務省主計局主計官 (文部科学担当)):
財務省は、とかく予算を切ることを主眼にしていると思われていますが、金を切っても施策が駄目になってしまっては意味がありません。教育をよくすることは、誰が見ても疑いのない目標です。ただし、教育に投じられる資金が、適切に、効率的・効果的に使われているのか、このことを問うことが大切です。

聴き手
玉井克哉 (RIETIファカルティフェロー/東京大学先端科学技術研究センター教授):
まず、運営費交付金は、国立大学に合わせて1兆2000億ぐらい投入されていますが、大学の現場にいると、もっと資金がほしいという声が強いわけです。一見足りていそうなところでも、これ以上必要ないとはなかなか言わないという習性があります。もちろん、実際に資金に困っているところもあります。そのような立場から見れば、財政当局は、めったやたらに財布の紐を締めることばかり考えている、けしからんという声も強いわけです。そこで、そのあたりを踏まえて、まずは、全体の大枠、概略的なことから現在の財政情勢についてお伺いしたいと思います。



また、大学の実態把握の点で、現在の財務諸表はまだまだどんぶり勘定なので、それを見直さなくてはなりません。そして、大学自治の根幹かもしれませんが、経営と教学の関係については、選挙で選ばれる学長が経営を行い、財務、労務まで担うことが、本当の意味で効率的なのかということも議論が必要です。


大学の社会貢献にも関わる問題ですが、この点について、私はまだまだ努力が求められていると思います。実際、大学が社会にとって有益なことをしていると、国民が本当に理解していれば、これをもっと支援しようという議論がでてくるはずです。しかし、かなり前から取り組んでいるはずの産学連携が、いまだに大きな課題として残っているように、そこに何か課題が存在しているように感じます。


「1%削減がいかに大変か」、「削減の結果、末端の研究資金が大きく削られている」などと関係者はしきりに訴えますが、なぜ、マイナス1%で末端がそれほど削られなければならないのか。「効率化」のメカニズムを各大学によく分析していただきたいと思います。


文学の研究自体は、文章表現や読解力養成などの教育面にとどまらず、その背景にある思想や社会環境などを読み解くという研究面もあるでしょうし、文学に表れる人間の深層的な心情も含めて、文化や人間としての豊かさを維持し、高めるためによいことなのでしょう。それは、個々人の教養教育として重要ですが、公益性や外部経済的な意味で、どこまで公費でまかなうべきなのかと言えば、微妙なような気がします。


したがって、外部の人が経営者として入る、それに対して学問的に説明責任を果たす人というのはまた別にいる、その代表が学長だといえます。たとえば私立大学の場合、理事長職と学長職は分かれているところが多いでしょう。ところが、国立大学では学長即ち理事長ということになっている。


業員の投票で社長を決める会社がこの世にないように、当然、社長は株主なり、その組織のステークホルダーに対する責任を経営者として負っているわけです。国立大学であれば、寄託者は国(納税者)かもしれませんので(私立大学であれば、大学の創設者、あるいは寄贈した人かもしれませんが)、彼らを向いて仕事をする必要があります。ところが、従業員が選んだ社長となれば、はたして株主を見て仕事をするかどうか。
外部評議員も入れていますが、では、どの程度、彼らの意見は反映されているのか。


興味深いのは、非公務員でありながら、いまでも給料は人事院勧告準拠という大学があるのです。労使折衝で自由に決めて構わないのですから、結果的に、給料にメリハリをつけてもいいと思うのです。それが法人化のメリットではないでしょうか。全てが人事院勧告であれば公務員のままと変わりません。国大法人移行後の第一期は、そのような運営もあったのかもしれませんが、第二期になれば、必要な判断をしてもらいたいものです。


皆抵抗しますが、退職不補充や現給で昇給停止、他大学の学科との併任とか、工夫はあると思うのです。民間では、さまざまな工夫をして、厳しい状況を抜け出そうとしています。大学もそれぐらいの覚悟が求められています。「それでは、30年かけてやります」などと言うわけにはいきません。「大学を世界トップ水準にしたい」という話の一方で、リストラは30年かけてと言うのでしょうか。本当にやりたいと思ったらやる、やる権限がないのなら、権限を付与する制度改革を行うと、次はそういう話になるでしょう


教育系が中心の大学だとか、研究が中心の大学だといって、いったん入ったものの、そうではないところに行きたい学生たちには、いつでも転学できるような構造が大事だと思います。もちろん、大学に入ってから東大へ移りたくなったから、必ず行かせてくれというわけにはいかないわけで、試験などを受けて転学するということだとは思いますが(笑)。教員側でも、同じです。


分野横断的な評価については、総合科学技術会議でS、A、B、Cをつけているが、往々にして全てSとAばかりになってしまいがちです。これでは査定の判断基準として参考にならないので、去年申し上げて、件数ベースでのバランスはよくなってきました。しかし、金額的には、まだSとAが多いのです。


藤城:
大学というと、みな敬意は表しますが、「それでは、大学のために消費税を1%(=2.5兆円)上げてください」と言われれば、おそらく困惑するのではないでしょうか。
玉井:
その必要はないというのが、一般納税者の感覚でしょう(笑)
藤城:
なぜなら、効果がよく見えませんから。何をしたいのかが具体的に見えないのに、お金を払ってほしいというのでは、何で自分が払わなければならないのかということになります。説明責任は、そういうところでも大事になるのだと思います。



〈疑問点等〉

  • 「学生1人あたりの教育予算は諸外国水準」→初等・中等・高等の配分で見ると? 
  • 「学生1人あたりの高等教育支出(家庭からの支出含む)も諸外国水準」→日本の場合、そこから研究費の一部も出てるけど、諸外国は?また諸外国では別の枠からそちらに流用できるシステムはないのか?
  • 給与は自分たちで決められるらしいが、クビもきれるのか?
  • 大学の外部評価の現状と改善の可能性
  • 「退職不補充」は若手が苦しくなるわけだが…