エコノミストは常に間違う

エコノミストはつねに間違う

エコノミストはつねに間違う


第一章 不可能な夢

第二章 戦争が終わって

第三章 ケインズ復活

第四章 新たな混乱

第五章 マネタリズムの興亡

第六章 サプライサイド経済学

第七章 経済学はどこへ行くのか




フーヴァーの時代でも、経済学者は政策立案に関与していない


経済諮問委員長は空席の時に景気がよくなる


カーター時代(1977-81)にマネタリストの手法


レーガン時代 サプライサイダー



第一章 不可能な夢


1971年 ニクソンショック

ブレトンウッズ体制の崩壊

米国から金が流出し、金本位制を維持できない

ドルも米国から流出

固定相場を維持していたが、実際の通貨の価値はドルが弱くなり、マルクなどはかなり強くなっていた


1973年 EC加盟国はブレトンウッズと同様のシステムをEC内で作ることに合意

1979年 欧州通貨制度(EMS)

「EMSの創設以来、ドイツ・マルクがECの基軸通貨になった。しかし、ドイツ経済のきわめて強い競争力を反映して、他のEC通貨に対してマルクが強くなっているため、一部の加盟国は自国通貨の対マルク相場が大幅に下落しないよう大変な苦労をしている。この通貨防衛政策が、高金利と高失業をまねき、経済の成長が抑えられている。」

イギリスとイタリアはEMSから離脱


1944年 ブレトン・ウッズで経済学者らの会合

国際通貨基金IMF)、世界銀行、国際貿易機関の設立を決定


主要通貨が完全な交換性を確立したのは1958年。

ブレトンウッズが機能した期間は、実際のところ10年に満たない


1920年代の大恐慌

金本位制からの離脱とともに回復へ向かう



ブレトンウッズの立役者 ケインズとホワイト

政府介入の重要性を主張

ケインズは取引の自由よりも完全雇用を重視



マーシャルプラン 125億ドルの供与(貸与ではない)

当時のドルの価値は現在の10倍ほどか。

http://www.zerohedge.com/sites/default/files/images/SeanMaloneRiseFallDollarLarge.jpg



変動相場に移行した後も、FRBは西ヨーロッパの中央銀行と連携して為替介入



第二章 戦争が終わって


第二次大戦直後の米国の失業率 1.9%

1944年は1.2%で最も低い水準

戦争終了後に(政府の支出が減り)失業率が再び上がる懸念

実際に1940年代末には5.9%に

エコノミストはその後も失業率が上がると予測したが、実際は1950年代に入ると下降した

この間、政府支出は大幅に減っている

戦争中に個人貯蓄が増え、戦争後に個人の支出が拡大



合同経済委員会と経済諮問委員会

戦後に設立。当初は権限が弱かった

戦後も民間企業(銀行含む)ではエコノミストは雇われなかった


アーサー・バーンズ

景気は循環する

一時的な景気後退は不可避で、安易な景気刺激策は事態を悪化させる



ニクソンのお膳立てでFRB総裁に

「マネーサプライの伸び率が5-6%を上回る状態が長く続けば、インフレ圧力が強まるのは当然である」

実際はマネーサプライを速いペースで拡大させ、インフレを進行させた

ニクソン・ショック

「経済学の法則が以前と同じようには働かなくなってしまった」



ミルトン・フリードマン

FRBはマネーサプライを一定のペース(3-5%/年)で増やすべき

それまでの考え:金融緩和→金利低下、金融引き締め→金利上昇

フリードマンの考え:金融緩和→金利低下の後に上昇、金融引き締め:金利上昇の後に低下

1950年代に変動相場制への移行を主張


福祉制度よりも負の所得税を導入すべき


テレビ番組のホストになり知名度が上がる

人気は出たが、話を単純化しすぎた面も



ケネス・ガルブレイス

ケインズ派

不確実性の時代



第三章 ケインズ復活


1960年代は好景気が続き、それが永続するかと思われたが69年には景気が後退した


ケネディ 経済学の知識は浅い

ポール・サミュエルソンに諮問


「企業経営者はみんな人間のクズだと、父からいつも聞かされていたが、今ようやく、それが本当だと分かった」


アイゼンハワー政権時 景気サイクルが一巡する間に、財政を均衡させなければならない


ケネディ演説時の所得税最高税率 91%

1964年 70%

最終的には28%に

実際には好景気は減税前から続いていた

アイゼンハワー財政均衡の影響と考える向きも


「減税によって長期的には黒字に転換する」

主な支出が失業手当だったため


実際には黒字に転換せず、ジョンソン時代には大きな赤字に




第四章 新たな混乱


60年代後半のインフレ懸念

ジョンソン大統領 増税すればインフレは止まる

マネタリストは懐疑的


1966年からの金融引き締め 一時的に金利が上昇したが、その後低下

1968年からの金融引き締め 金利は上昇したまま



「インフレ率が上がると貯蓄が増える」という不合理な現象がしばしば起こる。

金利の上昇を伴うなら通貨の価値の目減りは相殺されるが。


賃金上昇率よ労組組織率はあまり関係ない


個人の予想よりはグループの予想の方がいくらか当たりやすい




第五章 マネタリズムの興亡


回転率(流通速度)を軽視したことがマネタリストの問題?


アメリカでは1913年まで民間の銀行が紙幣を発行


マネタリストはそんなに保守(自由主義)ではない

オーストリア学派は総じてもっと右。



マネタリストはブレトンウッズ体制が崩壊し、インフレが問題になった70年代前半に勢力を伸ばした


マネーサプライが増えてから1年半ほど後にインフレ率が上がる

実際は必ずしもそうはなっていない


ケインジアンの理論

金利が上がると景気は後退する

財政赤字が増えると景気は上向く

どちらも当てはまらない局面が多い


WSJは当時マネタリストを全面的に支持


マネーサプライ増加→10ヶ月後に株価上昇→4ヶ月後に景気が上向く

徐々に間隔が短くなる


「1978年完全雇用・均衡成長法」(ハンフリー・ホーキンズ法)

FRBにマネーサプライの伸び率の目標を設定するよう義務付ける


1979年 FRBが政策の重点を金利からマネーサプライに移す


FF金利(Federal Fund rate)

銀行が短期資金を融通し合う時の金利

FF金利の調整が1970年代までのFRBの主な仕事

上がりすぎたら買いオペで下落圧力をかける

1979年以降は、金利の上昇に歯止めをかけることよりもマネーサプライの調節を重視


この時期に諸外国はドル安の進行を問題視しており、米国にインフレを止めるよう圧力

これもマネーサプライを抑える圧力に


実際にマネーサプライを抑える政策が取られ、ドルも反発したが、金利は急上昇

国債に資金が流れ、企業の社債はほとんど売れず

企業倒産↑、企業利益↓、住宅着工件数↓、失業率↑

金利上昇を止めるために、銀行の貸出を規制→景気後退

景気後退を止めるために、再びマネーサプライを増やす方針に


1980年にもマネーサプライを抑制する政策を行ったが、1981年中ごろから再び景気が後退したため、方針転換した


そもそもマネーサプライは精緻にコントロールすることができない


その後FRB議長はバーンズの弟子のグリーンスパン



戦後のFRB議長

1934年9月15日 - 1948年1月31日 マリネア・S・エクルズ(Marriner S. Eccles)
1948年4月15日 - 1951年3月31日 トマス・B・マッカーベ(Thomas B. McCabe)
1951年4月2日 - 1970年1月31日 ウィリアム・マチェスニー・マーティンJr.(William McChesney Martin, Jr.)
1970年2月1日 - 1978年1月31日 アーサー・F・バーンズ(Arthur F. Burns)
1978年3月8日 - 1979年8月6日 G・ウィリアム・ミラー(G. William Miller)
1979年8月6日 - 1987年8月11日 ポール・A・ボルカー(Paul A. Volcker)
1987年8月11日 - 2006年1月31日 アラン・グリーンスパンAlan Greenspan)
2006年2月1日 - ベン・S・バーナンキ(Ben S. Bernanke)



第六章 サプライサイド経済学


サプライサイダー ジャーナリストが中心

レーガン政権下で影響力を持つ

ブッシュ(父)は当時から否定的で、レーガンの失敗後に尻ぬぐい


保守派の多くは均衡財政の支持者で、財政赤字がインフレを引き起こすと考えた


WSJのロイスターとワニスキ

アカデミシャンの中ではアーサー・ラッファー


ロバート・マンデル

金融引き締めと減税によって、インフレを抑えながら経済成長を高めるべき


ラッファー曲線

税収が最大になる税率が存在

0%では0だが、100%でも0。(全てを税として取られるなら誰も働かない)


「重要な経済問題を真剣に議論する学会で、ラッファーの姿を見かけたことは一度もない」


共和党下院議員のジャック・ケンプもラッファーを支持

1980年の共和党指名選挙に大幅減税を掲げて出馬したが、レーガンも減税を約束したので辞退する

レーガンの大統領就任後は、減税に消極的な態度を取るたびにレーガンを非難することで政策誘導


フリードマンもラッファーをそれなりに支持


減税とともに貯蓄の落ち込みが顕著に


国民の貯蓄→銀行が運用

運用法としては国債を買うか投資するか

財政赤字が増えるに伴い、投資よりも国債に資金が流れた


1980年代が初頭を除き好景気

サプライサイド経済学の問題は見えにくかった


マネタリストの実験ほど大きな傷跡を残さなかった?


1980年代の好況は海外からの資金の流入による面も

ただし外国資本が得た利益は他の国に再投資される可能性が高いので、長期的に米国に寄与しない


マネタリストは、税収減による財政支出減を期待していたが、税収の減少にもかかわらず支出は減らなかった

福祉等による人気取りをほとんどの政治家が優先


減税しても労働時間は増えず、逆に減った




第七章 経済学はどこへ行くのか


90年代以降エコノミストの職は減少

予想が当たったエコノミストが会社に残れたわけでもない


経済学志望の学生も減少


短期金利を低く抑えても景気回復せず

既存のどのモデルにも当てはまらない


政府の赤字によって投資が抑制されるとしても、政府の赤字が公共投資によるものなら問題ない?


ケインズ

1920年代は金融政策を重視

1930年代になると財政政策の重要性を主張


実物的景気循環論 チャールズ・プロッサーなど

景気の方向は、おもに外生的要因で決まる


新古典派 合理的期待仮説 ロバート・ルーカスなど

市場は効率的に機能しており、政府の介入は有害な場合が多い



量販店の景気の印象は、現在というよりも数年前からのアベレージを反映

売り上げが減っていても、注文を増やしたりする


ハイエクロンドン大学での講演

「経済学者の仕事は、目先の問題に安直な答えを出したり、大衆受けする政策提言を行ったりすることではなく、長期的な観点から、人びとの求めていることがいかに間違っているかを説得することである」