人を意のままに動かす心理学

敏腕ロビイストが駆使する 人を意のままに動かす心理学

敏腕ロビイストが駆使する 人を意のままに動かす心理学

  • 作者: フォルカー・キッツ,畔上司
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2014/10/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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目次


第1部 議論
第1章 あなたの言葉に耳を傾ける人なんて一人もいない
第2章 あなたの希望に関心を持つ人なんて一人もいない
第3章 めげずに希望を叶える方法


第2部 情動
第4章 相手の理性ではなく意志に影響を与えよう
第5章 怠けぐせのある脳を使ってみよう
第6章 相手の動機を活用しよう


第3部 人材
第7章 適切なターゲットを選ぶ


第4部
第8章 相手に話を聞いてもらう方法
第9章 交渉するのではなく相手を操ることが大事
第10章 群衆の力を利用しよう



はじめに

ロビイストとは依頼主に有利な方向に法律を改正したり行政を転換させようとする職業で、たいてい思惑通りのことが実現する


第1部 議論
第1章 あなたの言葉に耳を傾ける人なんて一人もいない

ロビイストの仕事は公認されている

ドイツの各省庁は法律草案を書く段になるとタイミングよく専門家を参加させており、実際に各省の職務規定にもそう記されている。

各会派が『公聴会の場に招くことのできる専門家』の人数も同様の手続きで決められる

各専門家は特定会派にあてがわれたいわゆる『指定席』に腰掛けるが、大会派は小会派よりも多数の専門家を呼ぶことができる


犯しやすいミス

1.「客観性」と「正しい解決策」についての不動の信念

2.「公正」についての不動の信念


もし「正しい解決策」があるなら、ロビイストはそれを邪魔するもの






第2章 あなたの希望に関心を持つ人なんて一人もいない
第3章 めげずに希望を叶える方法


第2部 情動
第4章 相手の理性ではなく意志に影響を与えよう
第5章 怠けぐせのある脳を使ってみよう
第6章 相手の動機を活用しよう


第3部 人材
第7章 適切なターゲットを選ぶ


第4部
第8章 相手に話を聞いてもらう方法
第9章 交渉するのではなく相手を操ることが大事
第10章 群衆の力を利用しよう

意思決定と経済の心理学

意思決定と経済の心理学 (朝倉実践心理学講座)

意思決定と経済の心理学 (朝倉実践心理学講座)

目次
序章 コンビニのある物語によせて
第1章 マッチング関数を使う
第2章 需要関数を使う
第3章 遅延割引関数を使う
第4章 変化抵抗を使う
第5章 随伴性を測る
第6章 リスク性を測る
第7章 曖昧性を測る―2次確率から見る―
第8章 インセンティブ両立的な手段で測る
第9章 行動的意思決定理論から考える
第10章 行動的ゲーム理論から考える
第11章 意思決定以前の選択から考える




序章 コンビニのある物語によせて

行動経済学
1970年代中盤から発展
行動分析学ミクロ経済学の概念(需要関数、弾力性)で捉え直す

「行動」 記述的
経済学は元々規範的

経済学で注目された理由
カーネマンのノーベル賞受賞により行動的意思決定への関心
スミスのノーベル賞受賞により実験経済学への関心




第1章 マッチング関数を使う
第2章 需要関数を使う
第3章 遅延割引関数を使う
第4章 変化抵抗を使う
第5章 随伴性を測る
第6章 リスク性を測る
第7章 曖昧性を測る―2次確率から見る―
第8章 インセンティブ両立的な手段で測る
第9章 行動的意思決定理論から考える
第10章 行動的ゲーム理論から考える
第11章 意思決定以前の選択から考える

グローバリゼーション・パラドクス

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

序章 グローバリゼーションの物語を練り直す

第一章 市場と国家について―歴史からみたグローバリゼーション

第二章 第一次グローバリゼーションの興隆と錐体

第三章 なぜ自由貿易論は理解されないのか

第四章 ブレトンウッズ体制、GATT、そしてWTO−政治の世界における貿易問題

第五章 金融のグローバリゼーションという愚行

第六章 金融の森のハリネズミと狐

第七章 豊かな世界の貧しい国々

第八章 熱帯地域の貿易原理主義

第九章 世界経済の政治的トリレンマ

第十章 グローバル・ガバナンスは実現できるのか?望ましいのか?

第十一章 資本主義3.0をデザインする

第十二章 健全なグローバリゼーション

終章 大人たちへのお休み前のおとぎ話




序章 グローバリゼーションの物語を練り直す


1997年 前著『グローバリゼーションは行き過ぎか?』
グローバリゼーションに好意的なIIEから出版


2007年 共著論文『金融グローバリゼーションはなぜ失望に終わったのか?』


本来なら発展途上国が投資を受けることで便益を得るはずだが、
投資を受けた国は発展せず、受けない国が発展している


ポール・サミュエルソン 中国の利益はアメリカの犠牲による
ポール・クルーグマン 低所得国との貿易が豊かな国の不平等化に影響
アラン・ブラインダー 国際的なアウトソーシングが米国の労働者に混乱
マーティン・ウルフ 金融グローバリゼーションに深い失望
サマーズ 各国の規制が底辺への競争に向かう、国際的な労働基準の必要性
ジェセフ・スティグリッツ グローバリゼーションを激しく攻撃


グローバリゼーションの崩壊
1914年の金本位制の崩壊が最初


ブレトンウッズ体制は上手く機能した
中国やインドはそれに近い体制を保っている?



第一章 市場と国家について―歴史からみたグローバリゼーション



年表

1468年 ポルトガルがゴメスにアフリカとの5年の貿易独占権を付与
1776年 アダムスミス『国富論
1858年 東インド会社廃止


アダムスミスは重商主義(主権と商業的利益の結びつき)を攻撃


「取引費用」の概念
取引費用を削減する3つの制度
長期的関係、信念体系、第三者の強制力


大きな政府を持つ国ほど市場が発展する
デヴィッド・キャメロンの論文
なぜ先進国の公的部門は急に拡張したのか


1870年 11%
1920年 22%
1960年 28%
2000年 40%


米国、日本、豪州は低め(30%)
欧州は高め(特にスウェーデンとオランダ)
国の経済規模が大きく、貿易相手国との距離が遠いと政府の規模は小さい
社会保険動機 国際市場からの圧力に晒されるとリスクへの補償を求める



第二章 第一次グローバリゼーションの興隆と錐体


17〜18世紀 世界貿易は1%ずつ成長
19世紀 4%ずつ成長

19世紀は現在以上にグローバル?


リカード アダム・スミスの思想を継承


1846年 イギリスが穀物輸入の関税を撤廃
労働者と資本家は好意的


1860年 コブデン=シュヴァリエ条約(最恵国待遇を含む)


1861-66年の南北戦争以来、米国は高関税
南北戦争以前は、国際競争力の高い農業主体の南部は自由貿易支持、
国際競争力の劣る工業主体の北部は保護貿易支持


1870年代 ビスマルクによる関税引き上げ
以降、保護主義に転じた国の方が貿易が活発に



第三章 なぜ自由貿易論は理解されないのか


ヘンリー・マーティン
1701年に自由貿易論を展開


比較優位
インドが英国より織物と工業製品の生産性がともに低くても、
織物の生産性が相対的にマシなら、織物を売って工業製品を買うことで
国内で工業製品を生産するより利益が出る


自由貿易をさらに進めても利益が小さい
しかも大きな所得移転を伴う
51ドル得する人間と50ドル損する人間が出る



第四章 ブレトンウッズ体制、GATT、そしてWTO−政治の世界における貿易問題


デクスター・ホワイト
米国の財務官僚
ケインズと共にブレトンウッズ体制の立案に寄与
大恐慌の失敗が前提、自由貿易に懐疑的


ケインズ1920年代は自由貿易を支持
1930年代以降は現実路線


GATT
抜け道が多く強制力も弱いが、むしろそのおかげで
貿易自由化の利点と各国の独自の政策が両立できた


その後はより徹底した自由貿易を求めてWTO体制に移行
GATTをもっと徹底すればよりよくなるという考え


ポール・クルーグマン
2008年の講演で方向転換
「自責の念の表明」
グローバリゼーションの所得格差への影響を軽視


ジャグディッシュ・バグワティ
コロンビア大の経済学者
自由貿易の支持者



第五章 金融のグローバリゼーションという愚行


ミシェル・カムドシュ
IMFの専務理事
資本移動の自由化


アジア通貨危機
IMFは数カ月前までアジアの経済を絶賛
通貨危機後はアジアの縁故主義などが原因だとした


ケインズは資本規制は恒久的に必要と考えた
固定為替相場制の下で資本移動を許容すると、
自主的な金融政策が不可能になる


変動為替相場制ならその問題を回避できるが、
ケインズらは通貨価値の不安定さとそれに伴う貿易の不活発化を危惧


1973年以降、欧州と日本は資本規制に肯定的
米国と英国は規制緩和を主張
フランスはミッテラン時代の資本規制の失敗から米英に同調するように
「保守政権が行うのではないかと心配されていたことが、社会党政権で実現した」




第六章 金融の森のハリネズミと狐
様々な経済学者のスタンスについて解説


アルキロコス
「狐は沢山のことを知っているが、ハリネズミは大事なことを一つだけ知っている」


アイザイア・バーリン
自由主義の哲学者
ダンテはハリネズミだが、シェイクスピアは狐


一般化する傾向の強さ?
経済学ではハリネズミが多かった(特に自由貿易論者)
筆者は「狐」を自認
トービンもケインズスティグリッツも「狐」


ミシェル・カムドシュ
1996年にアルゼンチンを訪問
「成功の青写真が見えた」
3年後に経済危機




第七章 豊かな世界の貧しい国々
東アジアの成功例の話が中心

日本も台湾も韓国も、自由貿易のルールに従わなかったから発展できた



第八章 熱帯地域の貿易原理主義
ブラジルなどでの輸入代替工業化の話




第九章 世界経済の政治的トリレンマ
アルゼンチンの事例など


ハイパーグローバリゼーション、国民国家、民主政治のうち2つしか成立しない
前二者→黄金の拘束服
後二者→ブレトンウッズの妥協
グロと民主→グローバル・ガバナンス


ここでの民主政治は、財政政策による雇用対策など
前二者を採用すると、緊縮財政をせざるを得ないので、国民が犠牲になる
現在はこの状態が多い


ブレトンウッズでは後二者


国民国家を捨ててハイパーグローバリゼーションと民主政治の選択(世界政府)は?
やはり現実的ではない



第十章 グローバル・ガバナンスは実現できるのか?望ましいのか?



第十一章 資本主義3.0をデザインする




第十二章 健全なグローバリゼーション


WTOのセーフガードをむしろ拡張


中国は厄介だが、通貨の切り下げなどは自由貿易の枷をはめた結果とも言える

ある程度好きにさせれば強硬な政策を取らずに済むのでは



終章 大人たちへのお休み前のおとぎ話

通貨制度

金本位制 - Wikipedia

金本位制(きんほんいせい、英語: gold standard)とは、一国の貨幣価値(交換価値)を金に裏付けられた形で金額を表すものであり、商品の価格も金の価値を標準として表示される。この場合、その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、これを法定金平価という[1] 。大不況 (1873年-1896年) 期に採用が進み、20世紀には国際決済銀行とブレトンウッズ体制の礎となった。

金本位制が法的に初めて実施されたのは、1816年、イギリスの貨幣法(55 GeorgeIII.c.68)でソブリン金貨(発行は1817年)と呼ばれる金貨に自由鋳造、自由融解を認め、唯一の無制限法貨としてこれを1ポンドとして流通させることになってからである。
その後、ヨーロッパ各国が次々と追随し、19世紀末には、金本位制は国際的に確立した。

1914年にはじまった第一次世界大戦により各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行する。これは、戦争によって増大した対外支払のために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止、通貨の金兌換を停止せざるをえなくなったからである。

その後1919年にアメリカ合衆国金本位制に復帰したのを皮切りに、再び各国が金本位制に復帰したが、1929年の世界大恐慌により再び機能しなくなり、1937年6月のフランスを最後にすべての国が金本位制を離脱した。


ブレトン・ウッズ協定 - Wikipedia

ブレトン・ウッズ協定ブレトン・ウッズきょうてい、英語: Bretton Woods Agreements)とは、第二次世界大戦後半の1944年7月、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定である。「アメリカ合衆国ドルを基軸とした固定為替相場制」であり、1オンス35USドルと金兌換によってアメリカのドルと各国の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保つことによって自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる仕組みであった。この体制は1971年のニクソンショックまで続き、戦後の西側諸国の経済の復興を支えた。この協定に基づいて確立した体制のことをブレトン・ウッズ体制という。

しかしその後、アメリカ合衆国と世界の諸国の経済や貿易や財政の規模が著しく増大し、金の産出量や保有量が、経済や貿易や財政の規模の増大に対応することが困難になった。

1971年8月にニクソン・ショックによりアメリカはドルと金の交換を停止し、ブレトンウッズ体制は終了した。

その後、1971年12月にスミソニアン協定でブレトンウッズ体制の骨格を維持しようとするも、1973年には本格的に変動相場制に移行し、ブレトン・ウッズ体制は完全に終結した。

米国の政党について

共和党 (アメリカ) - Wikipedia
黒人奴隷制反対を掲げて1854年に結成される。連邦派と呼ばれるフェデラリストホイッグ党の流れを汲み、かつては北東部、中西部を支持基盤とする政党であり、1860年にはリンカーンが初の同党出身の大統領になった。当初は知識層が支持する進歩政党であったが、20世紀前半に革新主義が離脱、ニューディール連合のもと雌伏を余儀なくされた。公民権運動以降、民主党の地盤であった南部へ進出、キリスト教を取り込んで保守的な傾向を強めていき、民主党と政治的立場が入れ替わることとなった。リチャード・ニクソン以降はこの地を地盤として多くの大統領を送り込んでいる。

民主党 (アメリカ) - Wikipedia
その発足当初は対立する共和党が北部を中心とした近代産業の振興の立場を取るのに対して、民主党は南部を中心とした勢力を支持基盤に持ち、南部の農場主等の権益の擁護を中心としていた。
現在では一般的に対立する共和党保守主義新保守主義の立場を取るのに対して、民主党は一般的にリベラルの立場を取る議員が所属するとはされているが、伝統的南部出身者やカトリックなど、非常に保守的な議員もいる。経済政策に関しては国内の製造業、貧困層や弱者、中小企業を救済するため、自由貿易主義を主張する共和党とはやや一線を画す国内産業保護主義を取る。

アメリカ合衆国大統領選挙の州別結果 - Wikipedia
1912-56年は支持政党が国全体で変化する傾向がある。
以降は州ごとに支持政党が固定されがちだが、1912以前とは逆の政党を支持する州が多い。

アフリカ系アメリカ人公民権運動 - Wikipedia
アフリカ系アメリカ人公民権運動(アフリカけいアメリカじんこうみんけんうんどう、African-American Civil Rights Movement)とは、主に1950年代から1960年代にかけて、アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動である。

1960年に発足した民主党ジョン・F・ケネディ政権は、閣僚他スタッフに有色人種がいない事を批判されながらも公民権運動には比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離各法、いわゆる「ジム・クロウ法」を禁止する法案を次々に成立させた。しかしケネディは1963年11月にダラスで凶弾に倒れ(ケネディ大統領暗殺事件)、リンドン・ジョンソン副大統領がその後を継ぐこととなった。

1963年11月に大統領に就任したジョンソン大統領は南部のテキサス州を地盤に持つ「保守派」として知られたものの、大統領就任以前から人種差別に対して否定的であり、公民権運動に強い理解を示し公民権法の制定に積極的であった。実際にジョンソンは大統領に就任すると、これまでの上院議員としての長い政治生活、特に院内総務として培われて来た議会への影響力を最大限に働かせ、公民権法の成立に向けてキング牧師などの公民権運動の指導者らと協議を重ねる傍ら、保守(「人種差別主義」という意味での)議員の反対に対して粘り強く議会懐柔策を進めた[9]。

ジョンソン大統領による精力的な働きかけの結果、世論の高まりもあり議会も全面的に公民権法の制定に向け動き、1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、ここに長年アメリカで続いてきた法の上での人種差別は終わりを告げることになった。


ケネディ政権以降、民主党はリベラル色が強くなった印象。

マーケットの魔術師 システムトレーダー編

目次

序論1 メカニカルシステムとは何か

序論2 「一日に1000ドル稼ぐ」―システムの挑戦

ロバート・パルド

チャーリー・ライト

ラリー・ウィリアムズ

ルイス・ルカッチ

キース・フィッチェン

ウェイン・グリフィス

トム・デマーク

マイク・ディーバー

ボー・サンマン

ビル・ダン

トム・ウィリス

ジョン・ヒル

マレー・ルジェーロ

ゲーリー・ハースト博士

要約1 計画段階

要約2 理論から実行へ





共通点

利益の最大化よりもドローダウンの最小化を

ドローダウンは20-30%ほどに

シミュレーションの2倍程度のドローダウンを予測

複数の市場に分散させる

複数の時間軸に分散させる

多数回のデータでバックテスト(期間は短め)

S&Pが高ボラティリティで扱いやすい

増し玉はしない



序論1 メカニカルシステムとは何か


どんなシステムもドローダウンの時期がある

最も恐怖の大きいトレードがたいていは最大の利益をもたらす


序論2 「一日に1000ドル稼ぐ」―システムの挑戦


(裁量トレード以上の)大量のトレード資金は不可欠



ロバート・パルド


ゴールドマン・サックス大和証券での仕事

リスクが嫌い、データを信頼

顧客の提案したシステムをコード化→上手くいきそうだったが失敗

いいとこ取り(チェリーピッキング

都合のいいデータだけ見て上手くいくと信じる

サンプリングバイアスの一種か


年率10〜20%が現実的なライン

一か月に20%損失を被る確率が1/100になるように設計

プログラムはまずS&Pで試す

ボラティリティが大きい


移動平均を使って(過去のデータで?)最適化」

未来には上手くいかない場合もある

オーバーフィッティングのような話か


どの市場でも同じシステムを使うが重みづけは異なる

ボラティリティに応じて変える

マチュアは大きく買いすぎる

2σ、3σの大損失で破綻する


実際には大きな異変が起きても手仕舞いはしていない

米国政府がイラク政府との外交を打ち切った時、

リスクオフ&原油買いのポジションにしたが大きな損失

現実は少なくとも想定の倍ほどひどいことになり得ると覚悟すべき

ドローダウンとボラティリティが同程度大きくなるのなら問題はない


個人的には同じシステムを異なる市場でも使うが、市場に特化するのもアリ

原油市場はファンダメンタルズが大きい


1990-92年は通貨トレードで楽に稼げたが、今は難しい

1980年頃のTビルは強気相場のはしり→その後停滞

様々な市場を見るべき


多少の有利不利でポジション数を大きく変えるべきではない

システムの正確さが低くても、損切りが早く利食いが遅ければ稼げる





チャーリー・ライト

『ビジネスとしてのトレーディング』

先物市場は相関性がないので分散に有利





ラリー・ウィリアムズ

1987年のトレーディング大会で1万ドルを100万ドルに

厳格なメカニカル派ではない



ルイス・ルカッチ

農業経済学出身

バックテストだけでなく、モンテカルロ法でデータ数を増やす




キース・フィッチェン

工学出身

アベレーションシステム

トレンドフォロー、株価指数は扱わない(日本株式は例外)





ウェイン・グリフィス

アンティシぺーションの開発者

コーヒーが最も適している

フューチャーズ・トゥルース誌 システムのパフォーマンスを追跡してランキングに

ブラックマンデーを予測

ファンダメンタルズ重視ではいつも他の連中に後れを取る





トム・デマーク

マイク・ディーバー

ボー・サンマン

ビル・ダン

トム・ウィリス

ジョン・ヒル

マレー・ルジェーロ

ゲーリー・ハースト博士

要約1 計画段階

要約2 理論から実行へ